Nobusanこと
永田 信明
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●六角堂、正式名称 頂法寺(ちょうほうじ)
●天台宗系単立 山号は紫雲山
●ご本尊 如意輪観世音菩薩(如意輪観音)さま
●西国三十三所第18番札所
●華道池坊の発祥の地
二十四節気 冬めぐり
永田様
本日は気持ちのこもった、そして興味が湧き起こる丁寧な説明とガイダンス本当に助かりましたし、勉強にもなりました。非常に満足、感謝しておりました。
人の喜ぶ仕事は羨ましく思いながら、当方も一緒に楽しませていただきました。
京都への海外からのお客様などあればお連れするか紹介させていただくかもしれませんがよろしくお願いします。
今日は本当にありがとうございました。
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本日は大変お世話になりありがとうございました。皆様京都を楽しんで頂けて本当に良かったです。ご存知の様にまだまだ有名で無くても良い場所があります。また機会がございましたらご案内させて頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。皆様に宜しくお伝え下さい。
永田
観光コース:伏見稲荷、清水寺、三十三間堂、正伝寺、金閣寺
永田様
本日は安全運転かつ丁寧なガイドをありがとうございました。
子供達もとても喜んでいました。
モンキー山への無理なお願いも快く引き受けてくださり、大変感謝してます。
これからもお身体に気をつけてたくさんのお客様を喜ばせてください。
本当にありがとうございました。
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本日はありがとうございました。
皆様大変喜んで頂いた様で良かったです。
わざわざお礼のメール迄頂き感謝致します。
ガイド冥利に尽きます。
もし機会が御座いましたら私の好きな奈良もご案内できたらと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
お子様たちにどうぞ宜しくお伝え下さい。
京都観光タクシー 永田
観光コース:天龍寺、竹林、渡月橋、愛宕念仏寺、二条城
新年あけましておめでとうございます。
本年も引き続き、よろしくお願い申しあげます。
昨年は後半から人の移動制限が緩和され、お陰様でお客様をご案内する機会も徐々に増えてきました。
夏の祇園祭や秋の時代祭も、3年ぶりに執り行われました。
今年は、初夏の葵祭が4年ぶりにつつがなく迎えられることを願っています。
同時に、世界和平にも後光が差し輝く年になることを切に祈願します。
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「岩戸山」(いわとやま) 新町通仏光寺下る
天岩戸(あまのいわと)を開いて天照大神の出現される日本神話に由来。
鉾柱の代わりの屋上に松を立て、鉾には天照大神、脇に手力雄尊・屋根上に伊弉諾尊の三体をお祀りする曳山。
太陽神である天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れ伝説の岩戸山。
「日向大神宮」(ひむかいだいじんぐう) 山科区日ノ岡一切経谷町
京のお伊勢さんと呼ばれるパワースポット!です。
観光タクシー運転担当&英語通訳案内士(通訳ガイド)永田 信明
〒615-0812 京都市右京区西京極大門町21-215
電話番号 090-1076-8788
http://www.nagata-kyototour.com/
昨日は大変お世話になりありがとうございました。皆様私の観光を楽しんで頂けましたでしょうか?また機会がございましたらどうぞ宜しくお願い致します。
皆様に宜しくお伝え下さい。
永田
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大変お世話になりました。皆、大変満足されて喜んでいました。
親切丁寧なガイドありがとうございました。
また機会が有りましたら(次回も日本人かもしれませんが笑)宜しくお願いします。
観光タクシー
永田信明さま
昨日観光タクシーでお世話になりました。
高校駅伝で交通事情が難しい中、充実の観光をさせていただき本当にありがとうございました!
色々丁寧に対応いただき本当に助かりました。
まさにプロの技!と主人共々感動して帰路に着きました。京都フリークになりそうなので
またお世話になるかもしれません!その節は
どうぞよろしくお願いします!
年の瀬も押し迫って参りました。
どうぞお身体ご自愛くださり
良いお年をお迎えください。
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ご親切なメールありがとうございます。
私の案内を楽しんで頂けて本当に良かったです。
お陰様で順調にご予定の場所を回ることが出来ました。
京都は有名処だけでは無く色々と素晴らしい場所が有ります。
また是非ご案内させて頂けたらと思います。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
年末年始と厳しい寒さが続きます。
お体ご自愛下さい。
御主人様にもどうぞ宜しくお伝え下さい。
永田
#正伝寺、金閣寺、仁和寺、等持院
永田様
おはようございます。
先日は大変お世話になりました。
皆様、とても喜んでくださり、ほっとしております。
寒くなりますし、師走を迎えご多用のことと存じます。
ご自愛のうえお元気にご活躍ください。
そして、良いお年をお迎えください。
本当にありがとうございました。
竹林寺。朱塗り山門の竹林寺、「赤門の竹林寺」「あかちく」とも呼ばれています。
尊王攘夷運動に奔走した平野国臣、三条小橋の池田屋騒動で新撰組に捕えられた古高俊太郎ほか勤皇志士37士が眠るお寺。
元治元年の夏、京都御所での蛤御門の変による兵火の中,囚人の逃亡の恐れを名目に幕吏によって未決のまま斬首。
明治10年、西ノ円町(西大路丸太町)付近の西刑場址から姓名を朱書した瓦片とともに白骨が発見され平野国臣らの遺骨と確認、この寺に葬られ、明治43年に墓碑建立。
幕末の開国か鎖国か、日本が進むべく志を持った多くの若者たちが歴史に翻弄された痕跡が残る京もあります。
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●竹林寺、上京区行衛町(ゆくえ)。
●浄土宗西山禅林寺派(永観堂の包括寺院)、弘安2年(1278)道教の開基。
●ご本尊、阿弥陀如来さま。一木等身の十一面観世音菩薩を安置。
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)。境内には男女など人間関係のほか酒、ギャンブル、病気と云った「悪縁」を立ち切りたいと願うお札や絵馬が多数奉納、究極の「縁切り神社」として有名です。
境内は多くの参拝者の方々の思いもあり、とても霊が強いパワースポットのような場所です。
安易な興味本位で訪づれると変な霊、悪霊たちをお家に持ち帰ってしまいますので、くれぐれも気をつけてください。
ところで冬場は着ぶくれ状態のためか、縁切り縁結びの碑の穴をくぐることも大変のようでした。
トンネルを往復します、ご苦労様です。
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●安井金比羅宮、東山区に鎮座
彦根城。 築城から410年を過ぎた彦根城は、国宝の天守のほか、天秤櫓や西の丸三十櫓など数多くの櫓が残る名城。JR彦根駅から城の外堀の外周道路を走ると4.6kmでほぼ平坦なジョギングコースとなっています。
徳川四天王の一人に数えられ彦根藩の藩祖、井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公としたNHK大河ドラマ物語で彦根城の人気も定着しました。
また、2代目藩主・井伊直孝に縁(ゆかり)ある一匹の白猫をモデルとしたゆるキャラ「ひこにゃん」も出迎えてくれます。
春の桜、お堀がとても似合います。今年こそは楽しめることを切に願っています。
ところで、お昼には彦根名物の「近江ちゃんぽん」が旨いです。途中でお酢を加えると旨みもアップ、健康的にも優しそうです。
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●彦根城(ひこねじょう)、天守、附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(びたもんやぐら)は国宝、天守が国宝指定された5城のうちの一つ。
●1622年(元和8年)築城
●彦根城の北東にある天守を借景とする大名庭園「玄宮園(げんきゅうえん)」も絵になります。
●JR彦根駅前では井伊直政像が出迎えてくれます。
●おんな城主 直虎が唱えるお経『観音経』が美しいと評判でした。
春日大社(かすがたいしゃ)の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿(しんろく)に乗ってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護、 現在も奈良の鹿は天然記念物。
本来、野生ですが観光客からもらう「鹿せんべい」の餌付けにより、ペットのような感じもします。
ところが、COVIDの影響で観光客が減ったことで公園を離れ、野生に近い本来の生活を取り戻す鹿がいる一方で、「鹿せんべい」依存から抜け出せず、やせ細る鹿もいるようです。
自然は人の手を入れない方が理想でしょうが、あまりにも人に近い鹿たちにはある程度のサポートも必要かもしれません。
一方では京都や奈良などの山間地区でも、鹿や熊などの害獣被害で困っています。
彼らには罪はなく、人類の経済合理性などにより生じた地球温暖化や天敵不在といった問題が顕在化しています。
ポストCOVID後の私たちのライフスタイルを見直すことが求められているようです。
「のんびり行こうぜ 俺たちは・・・そして明るく、陽気にいきましょう。」(^~^)
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●春日大社 奈良春日野町 式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。
●全国に約1000社ある春日神社の総本社
●ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」登録
若草山にある鶯塚古墳の霊魂を鎮めるため火を付けたのが始まりとされる冬の伝統行事「若草山焼き」、昨日、松明での点火を試みたところ、残念ながら雨天続きで枯れ草に「火が付かず終了」。今年度は予定はないとのこと。今年の春の訪づれは早そうな感じです。
東大寺。華厳宗大本山。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔を含む大伽藍が整備されるも、中世以降の戦火で多くの建物を焼失。
現存する大仏さまは、台座などの一部に当初の部分を残すのみで、大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建。
木造文化は常に火の脅威にさらされて、はかなく灰になってしまいます。後世のためにも大切にしたいものです。
大仏殿に入りますと、その大きさに圧倒されてしまいます。
奈良の「大仏さん」のほかにも鎌倉や高岡、そして岐阜などにもありますがは、とても親しみやすくありがたい仏様です。
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●東大寺 華厳宗大本山
●8世紀前半には大仏殿の東方、若草山麓に前身寺院建立、現住職で220世となります。
●ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」登録(1998年)
遣唐使船。唐は618年~907年まで中国大陸統一王朝。
全盛期には大陸の西方の砂漠地帯まで支配していたとされ、現在の中国の「一帯一路構想」を実現していた超大国。
その都は内陸にある長安(現在の西安市)で、既に100万人以上の人口と伝われ、日本の平城京や平安京のお手本の大都市。上陸後、遣唐使たちは、さらに数千キロにも及ぶ長旅を経て、長安へ向かうことになります。
遣唐使が大陸に渡ったのは今から千年以上も昔、舟というか、箱が海に浮かぶ程度のもの、嵐の前には木の葉のように遭難も多々あり命の危険に常に向き合う航海であったことが容易に想像できます。
井上靖著「天平の甍」(てんぴょうのいらか)での「唐招提寺」開基で有名な鑑真和上を日本に連れた来た僧たちの物語も心打たれる小説です。
多くの先人の志や犠牲のもと、歴史の年を積んでこそ、今の日本があることを改めて知らされる物語。
身を賭してまで国のために尽くすその気概や志には敬服します。COVID禍の中、まだまだ、頑張る気力が湧いてきます。
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●復原遣唐使船
●平城宮跡歴史公園「天平うまし館」に隣接して展示
●かつて「遣唐使」を中国に運んだ「遣唐使船」を精巧に復原したものとなっています。
●四綱船(よつなのふね):遣唐使大使以下使節一行が四艘の遣唐使船に分乗の場合の呼称。
薬師寺(やくしじ)。藤原京に天武天皇9年(680年)が皇后(持統天皇)の病気回復を願って建立。
天武天皇の死後、その遺志をついで持統天皇が697年に完成。
平城京遷都で養老2年(718年・奈良時代初期)にのこの地に移され、当時は南大門を入ると、左右に東塔、西塔が聳え、正面には金堂、その後ろに講堂があり、それらを回廊で囲んだ薬師寺式伽藍配置した華やかな白鳳様式の大寺。
国宝の東塔のみが奈良時代の建物で、その後、昭和に入ってから伽藍整備されてきました。
新旧2つの塔と金堂が、西ノ京の空に高々と聳えています。
東塔は一見六重塔のように見えますが、総高約34.1メートルの三重塔。一方、西塔は1981年(昭和56年)、500年後に東塔と同じ高さになるように約30センチ高く建立されています。
東西両塔の大きさ、形状の違いは木材の乾燥収縮などを考慮に入れて計算がされているとのことで、匠の伝統のすごさに感服。
今後、何世紀後の未来も平和の中で背比べを楽しみたいものです。
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●薬師寺、法相宗大本山、南都七大寺の一つ
●開基:天武天皇
●ご本尊:薬師如来さま
●1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、ユネスコより世界遺産に登録
天香久山(あまのかぐやま)。天から降りてきた神聖な山として昔から崇められているお山。
壬申の乱が終わり、ようやく世の中に平和が戻ったころ、夫である天武天皇を亡くした女性天皇・持統天皇は、その遺志と国家事業を継承。
このお山には『古事記』にまつわる古社がいくつも鎮座。
・北麓には占いの神を祀る「天香山神社」
・南麓には天岩戸神話が残る「天岩戸神社」
・山頂には天地の根源神を祀る「国常立神社」(くにのとこたちじんじゃ)※「日本書紀」において初めての神。
・山腹にはイザナキ、イザナミを祀る上の御前と下の御前
山頂までは徒歩約10分程度の丘の散策。厳かな神の森で軽い山歩きを楽しめます。
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●香具山(標高約152.4m)”神が天降山”(奈良橿原市)
●畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)とともに大和三山
●持統天皇の歌「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」
Kagu-yama is one of Yamato-Sanzan (Three Mountains of Yamato)along with Mount Miminashi-yama and Mount Unebi-yama.
Old tradition has it that it has fallen from the heaven, and it is also called Ameno-Kagu-yama (Heaven of Kaguyama).
It is located at the border of Kashihara City and Sakurai City, the height is 152.4m.
唐招提寺(とうしょうだいじ)。奈良五条町にある中国唐の僧侶鑑真が建立(759年・天平宝字3年)したお寺。
聖武天皇の招きに応じて、多くの苦難の末に来日した唐の高僧・鑑真和上、その業績と名声を通じ、日中平和友好条約(1978年)の成立など国際関係の発展にも寄与、高く評価されています。
現在でも境内には、鴟尾(しび)をのせた瓦屋根の金堂、平城宮から移された講堂、校倉造の宝蔵などの建物が奈良時代の姿をとどめています。
また天平時代の仏像なども多く残されていて、国宝、重要文化財に指定され、歴史と文化財を有する重要なお寺としての地位は続いています。
井上靖の小説「天平の甍」(1957年)、多くの先人の志や犠牲のもと、歴史の年を積んでこそ、今があることを改めて知らされる小説です。
南無阿弥陀仏。
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●唐招提寺、南都六宗の一つ律宗の総本山
●開基(創立者):鑑真和上
●ご本尊:廬舎那仏(るしゃなぶつ)さま。
※太陽の太陽の意味であり、宇宙の中心から太陽のように照らし続けます。
●奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有し、1998年にユネスコより世界遺産に登録
法隆寺(ほうりゅうじ)。7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える聖徳太子ゆかりのお寺(太子建立の7カ寺の一つ)。
金堂、五重塔を中心とする現存する世界最古の木造建築物の西院伽藍と夢殿を中心とした東院伽藍があります。
境内も広く、建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を保有しています。
中学校などの修学旅行で訪づれた方も多いと思います。
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●法隆寺、別名は斑鳩寺(いかるがでら)
●聖徳宗総本山
●ご本尊:釈迦如来さま
●1993年「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界文化遺産登録
●「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規の句、柿は御所御所柿(ごしょがき)
橘寺(たちばなでら)。創建年代不詳ですが、聖徳太子誕生の地と云われ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていたと云われますが、現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっています。
川原寺(かわらでら)。日本最古の大仏「飛鳥大仏」や広大な敷地を誇った飛鳥寺と肩を並べるその広大なお寺のはずですが、このお寺に限っては一切その記載が無く、また室町時代末期に焼失して以降完全に廃寺となったために寺伝も残されておらず、創建目的や発願者は誰であるのかなど、全く知ることができない、当時の大寺としては実に不思議なお寺のようです。
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●橘寺(正式:仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうこういんぼだいじ))
●ご本尊:聖徳太子・如意輪観音さま
●新西国三十三箇所第10番札所
※聖徳太子建立七大寺(徳太子建立の伝承のある七つの寺)
1. 法隆寺(斑鳩寺)(生駒郡斑鳩町)聖徳宗の総本山
2 .広隆寺(蜂丘寺)(京都太秦)真言宗系単立
3. 法起寺(池後寺、尼寺)(生駒郡斑鳩町)聖徳宗
4. 四天王寺(大阪四天王寺)和宗の総本山
5. 中宮寺(尼寺)(生駒郡斑鳩町)聖徳宗
6. 橘寺(聖徳太子生誕地)(明日香村)天台宗
7. 葛木寺(尼寺)(橿原和田町)
●川原寺
●歴史上、記録が残っていない幻の大寺
亀形石造物。斉明天皇の時代に造られたとされ、長さ2.3メートル、幅約2メートルの亀の姿の石造物です。
面白いユニークな形が印象的な謎の石造物ですが、亀は古代から縁起の良い、長寿な生き物ですので神聖で大切な場所として祭られてきた遺構と思われます。
丸い目を持つ頭が取水口となり、甲羅に溜まった水が溝の刻まれた尻尾から流れ出るようになっています。
その南側には、この亀の頭部に水を供給する船形の貯水槽となっています。
当時の石加工の技術が優れたものであったことにも感心です。
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●亀形石造物
●亀形石造物を含む丘陵一帯に広がる遺跡は現在「酒船石遺跡」と呼称
●「日本書紀」にみられる斉明天皇の「両槻宮(ふたつきのみや)」と推定
岡寺(おかでら)、真言宗豊山派のお寺でご本尊は日本最大の塑像の如意輪観世音菩薩(如意輪観音)さま。西国三十三所第7番札所。
寺伝によると創建はおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立。昔はこの地が日本の首都となります。
飛鳥寺(あすかでら)は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことから、蘇我馬子がお寺の建立を発願、596年創建の日本最初のお寺と云われ、百済の技術者が瓦の製作をはじめ,仏堂や塔の建設に関わり、この後、この技術集団は、斑鳩寺などの造営にも関わったと云います。
さらに,これらの技術を身につけた人たちやその弟子たちが全国に広がり、各地の寺院造営に関わるようになったと云います。技術の伝承が行われてきたことになります。奈良時代に焼失しましたが、江戸後期に今の本堂が再建されました。
このお寺には、日本最年長1400年超える「飛鳥大仏」と眉目秀麗な「聖徳太子像」が安置されています。
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●岡寺、正式名は東光山真珠院龍蓋寺、真言宗豊山派、山号は東光山、院号は真珠院
●ご本尊:如意輪観世音菩薩(如意輪観音)さま
●西国三十三所第7番札所
●飛鳥寺、現在の宗派は真言宗豊山派
●ご本尊:釈迦如来像(飛鳥大仏)さま
●新西国三十三箇所第9番札所
●南大門、中門、塔、中金堂、講堂と一直線上に並び、更に塔の東西に金堂を配置する「一塔三金堂」式伽藍で構成、今のお寺の20倍程の規模を誇る大寺でした。
石舞台古墳(いしぶたいこふん)。奈良県明日香村にある大きなの花崗岩の貼石30個を積み上げて造られた石室古墳で、天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれています。
被葬者は、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子であったとする説が有力視。
30数個の岩の総重量は約2300トン、中でも大きな石の重さは約80トンもあると云われ、埋葬者の権力の大きさが想像できます。
それにしても、こんな巨石をどこからどのようにして運んできたのか、大変なエネルギーが必要であったことは確かでしょう。
特に桜のシーズンは優雅な時間をひと時の優雅な時を楽しめます。
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●石舞台古墳、国の特別史跡に指定
●一辺約50mの方墳、全長19.1mの横穴式石室
●日本国家形成前の古墳時代終末期6世紀の古墳
奈良桜井市、今日まで弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く残る地で、ヤマト王権の中心地であったと考えられ、宗教的にも歴史が深く古代信仰の形体を知る上でも歴史ロマンが満ちた地域です。
日本で最も古い神社の一つとも云われる三輪の大神神社、初瀬の長谷寺、多武峰の談山神社、等弥神社や、“三人寄れば文殊の知恵”で知られる日本三文殊の一つ、安倍文殊院など由緒ある社寺が数多く点在。
山の木々や空気、地下水に降りそそぐ自然のエネルギーや御神気を浴びることで、おのずと免疫力も高まることでしょう。
NHK番組「やまと尼寺 精進日記」もこの地にあります。ご住職、副住職、お手伝いの三人の女性、笑いが絶えない自然体の姿に癒される人が多いようです。
三輪明神大神(おおみわ)神社、三輪町にある日本で最も古い神社の一つ。ご神体は三輪山の麓に拝殿があり、自然そのものを崇拝する古神道が息づいているパワースポット。
古くから酒の神とされ、全国の酒蔵が信仰する神社で酒あるところに聖水あり、昔から日本酒は百薬の長。ちなみに江戸時代の名君として知られる上杉鷹山公のゆかりの地、山形米沢市の伝統酒蔵「東光」には、この神社の分社が安置されています。
また、この地の特産「三輪素麺」は、素麺作りの守護神とされ、三輪地方は素麺発祥の地と云われます。
神社境内の三輪山への登山口にある狭井(さい)神社には、神水の井戸があり、ここから湧き出る水は「薬水」と呼ばれ、これを飲めばいろいろな病気が治るとも伝わります。今では名だたる製薬会社の燈籠も点在します。
早期に疫病退散なることを祈願してきました。
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●三輪明神大神神社
●ご祭神:大己貴神(おおなむちのかみ)の和魂(にきみたま)の大物主神(おおものぬしのかみ)
●ご本尊:本尊丈六子安延命地蔵さま
聖林寺(しょうりんじ)、和銅5年(712)、妙楽寺(現在の談山神社)の別院として、藤原鎌足の長子である定慧(じょうえ)によって創建。
本堂に入るとまず目に飛び込んでくる、江戸時代の作のご本尊「丈六子安延命地蔵」さま。丈六(立像で一丈六尺)といことなので八尺(約2.4m)の大きな石像。
そのインパクトは、体に比べ顔の大きさにあうようです。「きれ長で半眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、優しい鼻筋・・・この顔をうけてたつ豊かな体」も、観音さまらしい気高さがあります。安産と子授けに信仰深いお山です。
また、天平彫刻の傑作の一つ、木心乾漆十一面観音立(国宝)は、京都学派の哲学者、和辻哲郞先生が著書「古寺巡礼」の中でも絶賛。現在でも造立当時の姿のまま安置。現在でも造立当時の姿のまま安置。
多武峰山麓の中腹に位置するため、境内からは三輪山や箸墓(はしはか)古墳をはじめとする大和盆地を一望のもとに見渡すことができます。
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●聖林寺 真言宗室生寺派、開山は定慧(じょうえ)と伝承。
●山号:霊園山(りょうおんざん)
●ご本尊:丈六子安延命地蔵菩薩さま
●国宝、木心乾漆十一面観音立像を所蔵
歴代天台座主が暮らした本坊。本門跡は、元和元年(1615年)に江戸幕府に仕え「黒衣の宰相」とも称された天台宗の僧「天海」が、後陽成天皇から京都法勝寺の建物を下賜され、里坊旧跡であった門跡を再建。
明智光秀のフィクション作品でも、時折、光秀と同一人物として扱われるのがこの天海ですが、延暦寺の再興にも尽力した大僧正のお坊さまです。
石垣に囲まれた広大な敷地には内仏殿や書院が立ち並び、狩野派の障壁画や小堀遠州の庭園でも知られます。
そう言えば今日の報道で「敵は本能寺にアリ」だけども、「秀光ハ鳥羽ニヒカエタリ」との家臣証言、金沢の古文書に記述されていたことが判明したとのことです。
静寂のお庭を存分に鑑賞しながら、歴史の謎、光秀の心情を考察するのもいいでしょう。
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●滋賀院門跡
●天台宗
●ご本尊:薬師如来さま
新年 明けましておめでとうございます。
親鸞聖人29歳の歳のときに比叡山を下り、六角堂に百日間参籠され、95日目の暁、夢に聖徳太子の示現の文を得られたと伝えられています。
聖人はこの夢告に導かれ、吉水の地に庵を結んでおられた法然上人を尋ねられて本願念仏の教えに出遇われました。
皆さまも良き初夢になりますように!
本年も宜しく、お願い申し上げます。
Nobusanこと
永田 信明
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●六角堂、正式名称 頂法寺(ちょうほうじ)
●天台宗系単立 山号は紫雲山
●ご本尊 如意輪観世音菩薩(如意輪観音)さま
●西国三十三所第18番札所
●華道池坊の発祥の地
妙心寺(みょうしんじ) 。同じく禅寺の大徳寺とともに、修行を重んじ厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的お寺。
仏殿のお釈迦さまと塔頭の一つ、退蔵院にも立ち寄り、本年の人を含めた多くの生命のご供養と感謝、そしてくる年の世界の安穏を願うため、消災呪(消災妙吉祥陀羅尼)を唱えました。
大晦日の「除夜の鐘」も例年と異なるものとなりますが、京都でも耳を澄ませるとどこからともなく鐘の音が聴こえてくる静寂な大晦日から新年となりそうです。
旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。くる年が皆さまにとってより良い年でありまうよう、心からお祈り申し上げます。
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●妙心寺(みょうしんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派大本山
●山号 正法山,寺紋 花園紋(妙心寺八つ藤)
●開山 関山慧玄(無相大師)
●開創 室町時代応永年間(1404年)
●ご本尊 釈迦如来さま
三井寺(みいでら)。歴史は7世紀ととても古いお寺ですが、比叡山延暦寺との対立抗争が激化などで、何度も焼き討ちにあい、近世には豊臣秀吉によって寺領没収で廃寺同然となったこともあり、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、「不死鳥の寺」と称されています。
「三井寺」の由来は、日本という国の基礎を造り上げた天智・天武・持統(女帝)天皇の三天皇が産湯に使った井戸があり、これが寺名の由来。
国宝や重要文化財を多く保有、名庭があり、唐院や三重塔、近江八景のひとつ「三井の晩鐘」も有名。「三井の晩鐘」は、金堂横の鐘楼の中にあり、毎年除夜の鐘に使われ、趣深い音を響かせます。平等院、神護寺の梵鐘と共に日本三銘鐘の一つです。
また、桜の名所としても知られ、開花期は夜間特別拝観として境内一円がライトアップされます。新緑のもみじや秋の紅葉も美しい琵琶湖を代表するお寺です。
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●三井寺(みいでら)、正式名、園城寺(おんじょうじ)
●天台寺門宗の総本山
●ご本尊:弥勒菩薩さま
●西国三十三所第14番、2015年日本遺産に認定
大津京。663年の白村江の戦いの後、667年中大兄皇子は都を飛鳥から近江へと遷都。そして翌年1月に天智天皇として即位。
遷都の理由は諸説ありますが、この地で天智天皇は天皇を中心とする中央集権国家を目指すものの、遷都5年でこの世を去り、この後に起こった弘文1 (672) 年の壬申の乱によって都は再び飛鳥に戻されました。
昭和49年と53年の調査により、古代の建物の柱跡が見つかり、その配列や規模からここが大津宮の中心部とされ、翌年、柱跡が発見された場所を「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡に指定。
現時点では大津京の全容を見ることはできませんが、現在この地には住宅や商店が密集、今後も発掘調査は容易ではないようです。
そのため、想像意欲がますますわいてきます。「万葉集」に柿本人麻呂らもこの荒都を悲しんだ歌が収められています。
歴史好きにはたまらない場所の一つです。
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●大津京(おおつきょう)跡
●667年中大兄皇子は都を飛鳥から近江へと遷都
●大津に都があったのはわずか5年間
近江神宮(おうみじんぐう)。滋賀大津市に鎮座する神社。皇紀2600年を記念して同年に相当する1940年(昭和15年)に創祀。
天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)、天智天皇を祭神として創祀。
天智天皇は『小倉百人一首』の第1首目の歌を詠んだと思われる歌人としても有名、その縁で「かるた」のチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月に行われています。
また、天智天皇が日本で初めて水時計を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計などが設けてあり、時計館宝物館と近江時計眼鏡宝飾専門学校が境内に併設。
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●近江神宮
●日主祭神: 天智天皇(又の御名:天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ))
●神徳: 時の祖神 開運・導きの大神、文化・学芸・産業の守護神
日吉大社。大津市坂本にある山王総本宮日吉大社。境内は八王子山(牛尾山)を含む広大な土地を有します。例年、日の出を見るために山を登られる参拝者もいます。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があり、中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。
国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。
合掌鳥居とも呼ばれる神仏融合した独特の形状をした「山王鳥居」が珍しいです。
社務所前に飼われている神猿(まさる)。「魔去る、勝る」に通じることから、魔除け・必勝の利益があるとされ、西本宮楼門の四隅にも神猿の木像が配置されています。
広い境内には約3,000本の紅葉があり、紅葉名所としても知られています。
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●日吉大社
●日吉神社・日枝神社・山王神社の総本宮
●西本宮本殿と東本宮本殿は国宝
西教寺(さいきょうじ。比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置。天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いと言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有します。
信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築きましたが、城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと思われます。
光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の直筆の寄進状が寺に現存し、また、光秀の妻、煕子(ひろこ)の墓所があり、光秀一族の菩提寺としても知られいます。当時の戦国武将は妻の葬儀に参列しないことが慣わしでしたが、光秀は熙子の葬儀に参列したという逸話が住職により語り継がれており、光秀の愛妻家な一面を知ることができます。
本能寺の変を決意した句として「時は今 雨がしたしる 五月かな」が有名ですが、辞世の句は2つあり、その一つが「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」。
意味は「修行の道には順縁と逆縁の2つがあるが、どちらも同じ1本道である。つまり順境も逆境も実は一つで、究極に言うと人間の心の源に達する大道である。私の55年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰する」
光秀の哲学がわかる句です。
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●西教寺、正式名「兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)」
●天台系仏教の一派である天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山
●ご本尊:阿弥陀如来さま
●2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定
浮御堂。近江八景「堅田の落雁」で名高い湖西堅田の琵琶湖の湖上に突き出た仏堂。
寺伝によれば、源信(恵心僧都)が隠遁先の比叡山横川恵心院から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々たるを怪しみ、網でこれを掬いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であり、その後、魚類殺生供養のために、千体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したと云われます。
恵心僧都は日本の浄土教の祖と称され、法然や親鸞に大きな影響を与えた高僧。
信仰心の深い母の影響により9歳で、比叡山中興の祖である慈慧大師良源(通称、元三大師)に入門、修行した方です。
東に伊吹山、長命寺山、近江富士(三上山)、沖の島、西に比良連峰、比叡山等の風景や眼前には湖水を一眺出来ます。
昔から風景絶佳の趣のある地のため、一休和尚も滞在したり、また、松尾芭蕉、小林一茶、歌川広重、葛飾北斎も訪れ、多くの詩歌、絵画を残しています。
春の枝垂桜も見事です。
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●浮御堂、「満月寺浮御堂」(まんげつじうきみどう)
●臨済宗大徳寺派
●2015年(平成27年)に日本遺産に認定
金閣寺。サワラ板のこけら葺き屋根が新調され立派になりました。今年の9月からの葺き替え工事も、ほぼ終了しました。工期中は足場を組み、全体をシートで覆うため、金閣は見えなくなっていました。1950年夏未明の悲しい金閣寺炎上から2回目の吹き替えとなります。
参拝者が少ない今だからできた工事でもあります。大晦日までには完了します。
新年には神々しい舎利殿を眺めることができるでしょう。
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●金閣寺(正式名称:鹿苑寺(ろくおんじ))
●臨済宗相国寺派大本山相国寺の境外塔頭
●舎利殿「金閣」が特に有名なため 一般的に金閣寺と呼ばれています。
●1950年(昭和25年)7月2日未明、放火により国宝の金閣と仏像等を焼失(金閣寺放火事件)
●銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて「京の三閣」と呼称
日本手ぬぐいを額縁に入れ、お正月、お花見、お祭り、お月見、紅葉など四季のイベントとして飾っています。
まもなく、クリスマス、今年は例年より静寂なイベントになりそうですが、それでもサンタさんは来ることでしょう。
来週から寒波到来、ホワイトクリスマスを期待しつつ、また、気をつけて過ごしましょう。
メリークリスマス、世界に安全と健康、幸福を祈ります。
永田 信明
Japanese washcloth, "NIHON TENUGUI" is placed in the frame and displayed as seasonal events such as New Year, Cherry blossom, Gion festival, a Full Moon viewing and autumn leaves viewing etc.
It will soon be Christmas. This year will be a quieter event than usual, but Santa will still come.
A cold wave will come from next week.
Let's have a safe time while expecting White Christmas.
Merry Christmas, I will pray to the world for safety, health and happiness.
Sincerely Regards,
Nobusan
いよいよ霧のシーズン本番。 四方を山に囲まれた亀岡盆地では、晩秋から初春にかけて「丹波霧」と呼ばれる深い霧がたびたび発生し、雲海をはじめとした幻想的な霧の風景を見ることができます。
霧は永年多くの亀岡の人たちにとっては、実は厄介なもの。冬になると玄関の靴箱は、ほっておくとカビだらけになるからです。
「麒麟がくる京都亀岡大河ドラマ館」も開設されるなど、戦国武将の明智光秀で盛り上げている亀岡ですが、霧も町おこしに利用する動きとなっています。
秋から初冬の晴れて風の弱い未明から朝にかけて、気温が一段と冷え込むときに「放射霧」がよく現れます。
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●かめおか霧のテラス
所在地:亀岡市下矢田町医王谷 竜ヶ尾山山頂付近
寒中お見舞い申し上げます
雪の女神も大暴れのご様子で とても厳しい寒さが続いておりますが 皆さまいかがお過ごしでしょうか
雪下ろしで大変な日々の地域もあるものと案じております
はたまた雪になれていない地域の方々も事故や怪我のなきよう候
写真は愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ) 嵯峨野にある天台宗のお寺で ご本尊は厄除千手観音 (十一面千手観世音菩薩)さま
密かに人気のお寺ですが 今季一番の冷え込みでしょうか
千二百羅漢さまも雪の中のお地蔵さんに見えます
傘でも被せてやりたい気持ちとなりました
それでは流行しているインフルエンザなどお召しになられませんようにくれぐれもご自愛くださいますようお過ごしください候
平成三十年 睦月 永 田 信 明
西陣会館(堀川今出川下ル)1階フロアでは華やかな「きものショー」を定期的に披露。陰陽師の安倍晴明神社も近くにあり、女性には人気の観光スポットです。
お土産コーナーでは、金らんテーブルランナーなどがお土産に人気。会館のお隣にも、時代劇などでのお姫様役などが利用する西陣織金らん専門店もあります。
「金襴(らん)」は金糸を贅沢に使用した豪華な織物を思い浮かべるかもしれませんが、西陣では金糸を使わない「無金物(むきんもの)」と呼ばれる織物も含めて「金襴」と称します。
「侘び寂びを出した織物」が西陣織の金襴の特徴ですが、海外のお客様には「黄金の国ジパング」のゴールドが人気です。侘び寂びを理解される海外のお客様はまだまだ少ないようです。
清水寺。東山区清水にある北法相宗大本山。山号は音羽山。ご本尊は千手観音さま。開基(創立者)は延鎮で、平安京遷都前まで遡ります。西国三十三所観音霊場の第16番札所。世界遺産登録。
現在の本堂の姿は今から約390年前に再建されたものですが、2017年2月から「平成の大改修」の真っただです。完了予定は2020年(平成32年)3月ですが、日頃見慣れた清水さんよりも、工事中の清水さんは珍しいです。
なお、清水の舞台の原型となったと云わる建物は、京の山奥にある「峰定寺」(ぶじょうじ)。この門前には料理研究家、大原千鶴さんのご実家にあたる高級料亭「美山荘」があり、また、昨年、ドローンによる調査で日本一高いとされる「三本杉」のご神木もあります。
大原千鶴(旧姓・中東)さんとは、その昔、門前参道でご丁寧な挨拶を交わしたことがありました。当時も今も明朗なべっぴんさんです。
柳生(やぎゅう)の里。奈良県と京都府の県境にある柳生新陰流という剣術流派で有名な柳生十兵衛など柳生家一族が治めた地。
歴史に疎い方でも剣豪といえば宮本武蔵と柳生十兵衛の名前は出てくるものと思います。
柳生の里は、柳生一族が眠る菩提寺や家老屋敷、神社に奉る2つに割れた巨石「一刀石」、あるいは柳生焼の窯元や刀匠の工房などもあり、神秘パワーに満ちた見所も多い里山です。
柳生家憲があります。「一文は無文の師、他流勝つべきにあらず、昨日の我に今日は勝つべし」があります。
自分の知らない事は知っている人から謙虚に学び、他流と勝負を争わず、ひたすらに自分自身の向上に日々努めよ、という現代の経営学にも通じる素晴らしい戒めです。
奈良市内から車で約30分程度ですので、奈良文化を楽しんだ後に少し足を伸ばしたらよいかと思います。
西本願寺。山号は龍谷山(りゅうこくざん)、浄土真宗本願寺派の本山。境内は国の史跡に指定され、世界遺産にも登録。通称、お西さん。
拝観料無料で境内および国宝の御影堂や阿弥陀堂に入ることができ、唐門も近くで眺めることができる開かれたお寺です。また、同じく国宝の書院や飛雲閣は前日までにご予約をすれば、定員に達していない限り拝観可能(拝観料は志納)、拝観時間は14:30の1回のみ)。
なお、お西さんでは教義により、お守りやご朱印はありません。
東本願寺のお東さんとお西さんの界隈は、信徒さんの詰所(宿坊)、修学旅行でお泊りした旅館やお数珠屋さん、お線香屋さん、お土産屋さんなどが立ち並ぶ昭和ノスタルジーが漂う門前街です。
もう一度、学生時代の友人などと「大人の修学旅行」として訪づれてみてはいかがでしょう。
謹賀新年 明けましておめでとうございます。
皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。本年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
禅寺妙心寺の新年は、年代の記された鐘では日本最古と云われる国宝「黄鐘調」(白鳳時代(698年)の作)の複製鐘が撞かれ迎えました。午後11時30分から90回、続く元日午前5時から18回の108回。
近くの双ヶ丘に草庵を結びんだ吉田兼好が執筆した徒然草でも名鐘として引用している名高い梵鐘です。
そして、新年もいつもと変わらずお釈迦さまにお経を唱えことから始まりました。
Nobusan 永田 信明
水炊き鳥料理の「新三浦木屋町店」。新三浦は白濁スープの元祖博多の老舗。ここは女優森光子の元生家。秀麗東山三十六峰が一望でき、夏は京の風物詩の納涼床も楽しめます。
なお、大女優は、本能寺の変の後に信長父子らの骨灰を集めて葬ったと伝わる阿弥陀寺帰白院(相国寺の東)に眠っています。
京オリジンの鳥の水炊きでは、江戸時代・天明八年創業、かの坂本龍馬も愛した水炊きを味わえる老舗「鳥彌三 」(とりやさ)や「西陣鳥岩楼」 などもお奨めです。やはり、鶏肉は鮮度が命、朝びきに限ります。昔の地鶏はさぞ美味しかったことでしょう。
クリスマスを前に鳥たちの受難が続きますが、命に感謝して美味しくいただきたいものです。
祇園新橋(ぎおんしんばし)。京都の旦那衆の洗練された社交場。
日中には、お茶屋さんの横を流れる白川では青鷺(アオサギ)が小魚を狙う様子を観察することができます。
舞妓さんか、芸妓さんのきれいどころでも通っていったのでしょうか。
節分の翌日、今日は『立春』、春のスタートです。
洛中には歴史がある分、多くの石碑もあります。古いものから新しいものまで様々な石碑に遭遇できます。
今回の石碑は『上杉景勝・直江兼続屋敷跡碑』。NHK大河ドラマ『天地人』を記念し、2009年に設置。
豊臣秀吉の聚楽城時代、全国の大名が聚楽城のそばに結集し屋敷を構えていました。二条城の上に位置する上京区黒門通一条上る西側の弾正町。地名の由来は、景勝の官位が弾正大弼(だんじょうおおひつ)だったことによります。
景勝は、豊臣政権の五大老の一人。上杉謙信公を家祖とする上杉家2代目で出羽米沢藩初代藩主。
一方、直江兼続は、『愛』の字の兜の前立を付け戦ったと伝わる景勝の右腕の名参謀。景勝は5歳年上で、両者は主従の関係というより兄弟のような仲で、謙信の下で『義』の精神を学び成長したと云われています。
兼続の墓は米沢の松岬神社、林泉寺、そして京都の臨済宗妙心寺北門にある隣華院。
この石碑から西には、佐々木酒造があります。洛中に現存する唯一の蔵元で俳優・佐々木蔵之介のご実家。軒下の杉玉も茶の色を濃くし、新酒『聚楽第』の熟成も増しています。
赤穂浪士「四十六士」の命日2月4日。
東京泉岳寺には、討入り前に自害した萱野重実、遺骸を遺族が引き取った間光風、そして切腹をまぬがれた吉右衛門の3つ供養塔を含め、48基が安置されています。
一方、京都の西陣にある妙蓮寺には、遺髪墓があります。
「四十六士」の戒名すべて最初の文字が「忠誠院刃」で、終わりが「剱居士」。筆頭家老大石内蔵助、元禄十六年二月四日(1703年)没、戒名「忠誠院刃空浄剣居士」。
また、妙蓮寺のすぐ上にある機械メーカのSCREEN内の堀川通面には、赤穂浪士にかかわる石碑「瑞光院、赤穂義士四十六士遺髪塔跡」があります。かつてこの場所は、46人の「まげ」が奉納された瑞光院がありました。瑞光院は赤穂浅野家の祈願寺で、内蔵助らが討ち入りの密議を重ねた場所とされています。
偶然、同社敷地内で発掘された遺髪塔とまげは、山科区の瑞光院で奉られ、同社でも2005年に石碑を立て、毎年、瑞光院住職を招き法要を開いているそうです。
余談ですが知り合いの石屋さんから伺った話では、石碑の石はあまり上質のものではないとのことでした。
合掌
今日は東寺の初弘法。弘法大師さんの命日月21日に開催される京都を代表する市の初月。今年も多くの参拝者で賑わっていました。海外からのお客様も楽しんでいました。
アジアのみならず欧米にもこのような縁日があるようで、市はノスタルジーを感じます。
金堂の薬師如来さまと修行中のお大師像をお参りしてから骨董屋さん・植木屋さん・陶器屋などのお店を見て回り、そして最後に御影堂(大師堂)でもお参り、この一年の無病息災をお祈りしました。
冬の時期のお奨めは、「樽出しすぐき」の漬物。お馴染みのお店で購入しました。もちろん、京都駅などのお土産店よりも、ずっとお買い得。
ぶぶ漬け、日本酒やワインのあてにも最高です。
<お奨め訳>
・樽漬けから直接取り出して、都度、陳列しながら、選べる点。
・寒い屋外での販売で鮮度も抜群。
・臨時露天のため、当然廉価。市価の半額程度。
次は、25日の北野天満宮の「初天神」さん。受験生の方々の「桜咲く」をお祈りいたします。
京都の雪は、薄っすらと屋根に薄化粧の雅な感じを想像するのではないかと存じます。
ところが、この週末は全国的な寒波到来で、まさに雪国の装いとなりました。
昨日の都道府県駅伝も後続のランナーが舞い振る雪で見えない中での中継となりました。いつもなら先導する白バイ隊員の姿もなく、残念だったでしょう。駅伝の結果は、何とか京都が優勝し、開催地の面目を維持できました。
丸太町、今出川、北大路と北へ進むほど、雪の降り方が強くなっていました。いつもの冬でも今出川を越えると、よく雪が舞います。
このような積雪は、10年の一度、あるかないかと記憶しますが、でも、ニュースでも放映されていましたが、日本有数の豪雪地帯山形県大蔵村「肘折温泉」に比べると序の口のようです。
これから節分をピークに寒さも増してきますので、風邪などひかぬようご自愛ください。
行く年、来る年の風物詩でもある京を代表する知恩院の「除夜の鐘」。「ええんやー、ひとおーつ」と親綱の僧のかけ声に、子綱の16人の僧が応えて手をゆるめると、親綱の僧は綱にぶらさがって撞木を鐘にぶつける除夜の鐘。
また、檀家の人だけでなく一般の方も突くことができる「除夜の鐘」や突く時間帯も必ずしも行く年、来る年の時間とは限らない「除夜の鐘」もあります。境内には無料の甘酒などの接待が用意されているお寺が多いようです。
元旦の日の出を迎えるまでは、お寺の鐘が京の街のどこかで静かに響き渡ります。
申年も残り一週間となりました。
京都では北山時雨(しぐれ)の晩秋、初冬の頃から虹をよく見ることができます。特に朝や夕方のお日様の高度が低い時間帯に大きくきれいな虹となります。
鞍馬・貴船山を越えるとそこは日本海気候、日本海側から山を越えて雪雲が流れてくるものと思います。不思議と紫明通りより上でよく現れます。
スマホ写真におさめるのは難しいですが、とてもきれいな光景でした。ペットを亡くされた方はご存知かもしれませんが、「Rainbow Bridge(虹の橋)の詩」を思い出します。
昨晩から冬の寒波到来、北山はうっすらと雪化粧、初雪。北山時雨の後、虹も出ました。
東寺、教王護国寺。真言宗の根本道場、東寺真言宗総本山。本尊は薬師如来。
秋の観光シーズンもひと段落。小春日和の中、空海上人にお参り。有難いことに弘法さんの御影のような写真も納めました。
「京都のランドマークは?」の問いかけに挙げられるのが、「東寺の五重の塔」「京都タワー」・・・、京洛する方にアンケートすると一番はどこになるのだろうか。多分、「東寺の五重の塔」、でも、「シンボルタワーはどこ?」という聞き方になると「京都タワー」かも、やはり甲乙付け難いということかもしれません。
明日は「第13回京都・観光文化検定試験」、どんな出題となるのか、毎年、楽しみにしています。有資格者の中には、毎年、受験し、その知識を確認する方もおられるようです。
禅林寺(ぜんりんじ)。通称、永観堂(えいかんどう)。浄土宗西山禅林寺派総本山。開基は、空海の高弟の真紹僧都(平安時代初期)。平安時代後期、永観(ようかん)律師の時に念仏の真言宗に改宗。
境内には3000本を超えるモミジがあり、古くより「秋はもみじの永観堂」と云わる京都でも屈指の紅葉スポット。 特に夜間ライトアップが人気です。
混雑を避けて紅葉狩りを楽しみました。
「みかえり阿弥陀さま(Amitabha Looking Back)」の逸話
禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左に曲げた姿の像「みかえり阿弥陀さま」。永観が日課の阿弥陀如来の周りを行道しながら念仏を唱えていたところ、阿弥陀如来さまが須弥壇から下りて、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。それ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているという。
めずらしいお姿の阿弥陀仏像です。「南無阿弥陀仏」
民泊などで賑わう京都、外資系高級ホテルも活況です。
・2006年「ハイアットリージェンシー」
・2014年「リッツカールトン京都」
・2015年「翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル」
・2016年秋に「フォーシーズンズホテル京都」が智積院の上にオープン。
このホテルのお庭は800年もの歴史ある庭園。
『平家物語』にも記された平重盛の庭園「積翠園(しゃくすいえん)」。
夜泊石(よどまりいし)を配した池。
夜泊石は蓬莱思想などからきたもので、神仙島である蓬莱島には、仙薬財宝があるために、それらの物を求めるために、夜、海に停泊している舟の姿を現しています。直線上に点在する立石法の石組です。
なお、夜泊石では西芳寺(苔寺)金剛池、大覚寺嵯峨院跡庭園大沢池、鹿苑寺(金閣寺)鏡湖池(きょうこち)なども有名です。
お庭の拝観料込みのランチと思えば、楽しむことができそうです。
醍醐寺。真言宗醍醐派総本山。貞観(じょうがん)16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山。世界遺産認定。
三宝院庭園。「醍醐の花見」に際し、秀吉自らが構想し作らせた日本庭園。池に配された「亀島」「鶴島」、天下の名石「藤戸岩」、「三段の滝」など安土桃山時代の華やかな雰囲気を今に伝えます。国の特別史跡・特別名勝。
秋の紅葉の時期は、七福神の一つ、弁財天が祀る弁天堂。朱塗りの橋を渡ってお参りできます。鮮やかな紅葉と朱塗りの弁天堂、橋が池に映し出される紅葉の名所。
五重塔、三宝院唐門、 西大門(仁王門) など真言密教の不思議が多くある醍醐寺。 醍醐山に200万坪以上の広大な境内で、上醍醐と下醍醐の区域に分かれています。上醍醐までは徒歩1時間ほどかかります。
仁和寺(にんなじ)。御室にある真言宗御室派総本山。ご本尊は阿弥陀如来。開基第59代宇多天皇。世界遺産登録。
門跡寺院で出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」(おむろごしょ)と称され、明治期まで皇族が住職を務めていた格式高いお寺です。
金堂へ続く参道の紅葉は見事です。
この季節には宇多天皇を流祖とする御室流華道による恒例のいけばなを御殿内で鑑賞できます。
また、「御室八十八ヶ所霊場」と呼ばれる巡拝コースもあります。四国八十八ヶ所への巡拝が困難であったことから、仁和寺29世の御本願により四国霊場のお砂を持ち帰り、裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが始まりです。約3kmにわたり札所が点在、弘法大師をお祀りしています。山道となりますが約2時間あれば参拝できます。
なお、金閣寺から龍安寺を経て、この仁和寺に通じる「きぬかけの路」は三つの世界遺産を巡ることができます。「きぬかけの路」は、宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山(きぬがさ山、別名「きぬかけ山」)に絹を掛けたと伝えられる故事にちなみ命名された路です。
今熊野観音寺。真言宗泉涌寺派。平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師さまが開創。御本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第十五番霊場・厄除、開運の寺として知られ、特に頭痛、智恵授け、ぼけ封じの観音様として信仰を集めています。
本堂東側の山上に見えるのは平安様式の多宝塔「医聖堂」。 医と宗教がともに手をたずさえて、健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立。本年、33年ぶりに塗り替えられ、鮮やかな朱色が蘇りました。
<頭痛治癒の逸話>
院政を敷いた天皇として有名な後白河法皇(1127-1192)は持病として、激しい頭痛がおありでした。
そこで、頭痛封じの観音さまとして評判の高かった今熊野観音に頭痛平癒のご祈願を続けられたところ、ある夜、枕元に観音さまが現れ、病める頭に向けて光明をお差しかけると、永年苦しんでこられた頭痛が癒えたことが霊験記に伝えられています。
以来、今熊野観音を「頭痛封じの観音」としてさらに天下にお知らしめになり、当山を参詣される方は枕を持参して御加持御祈祷を受けてきました。
現在では当山で枕カバーを用意、毎日早朝より御祈祷を行っています。
余談ですが「枕」は首、頚椎との関係で重要な健康寝具です。
「首の病→手足の麻痺・歩行困難→うつ病→認知症」といった悪の連鎖を断ち切るためにも、早期診断が重要かと存じます。なお、京都には頚椎手術のゴッドハンド「慈心妙手」(じしんみょうしゅ)の名医もいます。お大事に・・・「南無大師遍照金剛」
妙心寺。臨済宗妙心寺派大本山。日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める最大の禅寺で、「西の御所」と呼ばれ親しまれています。境内には著名な武将の菩提寺など40余りの塔頭がありますが、常に公開されているのは「大方丈・法堂・明智風呂」と「桂春院」「退蔵院」「大心院」のみです。なお、春秋などには特別公開されることがあります。
禅寺では松が多く植えられていますが、ここでも三門と仏殿の間に、竹垣に囲まれた4本の松が中でも有名。妙心寺の発展に寄与した「四派の松(しはのまつ)」です。なお、四派の塔頭は、龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院となります。
でも、秋は隠れた紅葉の名所です。
背筋を伸ばし凛として、広大な境内をしばし散策しながら、禅寺ならではの雲水修行の厳しい修行「喝」の声や読経が流れる中の禅寺の秋をご堪能ください。
また、山内塔頭と同様の扱いを受けている石庭で有名な世界文化遺産の龍安寺にもお参りください。
なお、今年は宗祖・臨済義玄禅師1150年、ならびに翌平成29年は日本臨済宗中興の祖・白隠慧鶴禅師250年の両遠諱の年です。
「衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏なり」(みんな、そのままで仏さまだ)。合掌
平安京にはその中央にメインストリートの「朱雀大路」が通り、御所から見て東側を左京、西側を右京としました。
朱雀大路の南端には、芥川龍之介の著書でも有名な「羅(生)城門」(らじょうもん)と呼ばれる都の正門が造られ、その門を入ったすぐ右手には空海(弘法大師)の「東寺」、左手に守敏僧都の「西寺」が創建されていました。
両寺は常にライバルとして平安京の守護を担っていました。
中でも、824年(弘仁15年)の干ばつの時、神泉苑での「雨乞いの儀式」(雨乞い伝説)のお話は有名です。
時の帝・桓武天皇は弘法大師に堀川御池にある神泉苑で降雨祈願をするように命じましたが、それを知った守敏は、帝に先に祈願させてくれるように頼み、神泉苑で祈願に入りましたが、少量の雨が降っただけでした。
今度は空海が祈願をしましたが、全く成果がありません。変に思い調べてみると、守敏が水の神の龍神を隠してしまったことが判明、二日間の延長を願い、インド天竺の竜神に祈願して豪雨を降らせました。
これにより、守敏は国中の笑い者となり、一方、空海は信を得ました。
このような逸話ですが、その時に呼び寄せたという善女龍王は、現在も神泉苑善女龍王社にお棲まいになられています。
現在の西寺は、発掘時出土した金堂礎石の一部が残るのみで、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認されています。塔跡の礎石は、唐橋小学校の敷地付近と思われるものの、地下に埋もれているのか、すでに破壊されたのかは分かっていません。
羅城門から聳え立つ平安京のランドタワー、東寺、西寺の塔は、平安京の玄関にふさわしく威風堂々と都を守っていたものと容易に想像できます。
京都の主なお寺では、法話が定期的に行われていますが、先日、東寺(教王護国寺・大日堂)の「日曜法話」に伺いました。毎週日曜日、朝7:00から8:00に開催。担当は山田忍良さん。
先々週の10月23日7時前に行くとすでに開始されていました。
テーマ 「マインドフルネス」
NHKスペシャルで放映されたマインドフルネス「Mindfulness」。
宗教色をぬいた瞑想、呼吸法。ダライラマが米国の大学に「瞑想の効果を科学的に研究してほしい」という要請が始まりという。
背筋を伸ばし、リラックスした状態で3分(7秒吸って10秒吐く)の呼吸。禅と同様、半眼で舌は上顎につけることが眠り防止のポイント。
これだけで1カ月後には、心身に変化がでるそうです。散歩がてら近くのお寺の境内で実践、また、結果を報告します。
東寺では毎朝6時に弘法大師・空海がお住まいだったころと同じように一の膳、二の膳、お茶をお供えする生身供(しょうじんく)が行われています。最後に空海が唐より持ち帰ったと云われる仏舎利を頭と両手にそっと授けていただく法要。
どなたでも、ご参拝できます。但し、門前で 鐘が突き終るまで待ってから入ります。
現在、御影堂は大規模な改修中(ちなみに改修作業の足場は従来材で、工法は大型クレーンでの近代作業、安全対策・配慮には問題あり・事故なきようお願いしたい)で、仮のお堂に大師さまの像が安置されており、より身近にご拝顔できます。オリジナルの仏像(国宝)は、大日堂で毎朝6時にご詠歌の中、御開帳されます。
なお、今秋の「紅葉ライトアップと夜間特別公開」 :10月28日(金)〜12月4日(日)・ 拝観時間:午後6時30分~午後9時30分 。拝観料:800円。
京都のシンボルタワー五重の塔、金堂、食堂などがとても幻想的。「南無大師遍照金剛」。
ギリシャ正教の西日本の布教活動の拠点として1903年(明治36年)に完成したロシア・ビザンチン様式の木造十字形平面聖堂。堂内には帝政ロシア時代のイコンを壁のように飾った「イコノスタシス」があります。
聖人や最後の晩餐などの出来事を描いたイコノスタスが壮麗に彩ります。
イコンは仏教画の類。聖母マリアと赤子のキリストが描かれている図式が典型。ブルガリアなどの東欧の教会では、度重なる戦争で残ったイコンを大事に保存しています。
古都京都の教会、京町屋での隠れキリシタンが似合うような気もしますが、華やかなギリシャ正教には似合いませんね。特別公開は10月28日~11月7日まで。
下鴨神社の下に位置する「旧三井家下鴨別邸」(左京区下鴨宮河町)。平成23年(2011)、国の重要文化財に指定。
三井家は京都で養蚕の神「木嶋神社」(太秦)を信仰、顕名霊社として勧請し、神社内に社殿を設けていました。その後、顕名霊社は明治42年、三井家の遠祖・三井高安の300年忌に際し、現在の下鴨の地に遷座され、三井家は宿舎や茶室の新築・移築を進めるなど、明治期から大正期にかけての歴史建造物として整備されてきた日本の最高峰の文化価値もある建造物。
財閥は解体後は、顕名霊社は三井総領家の油小路邸に移され、下鴨別邸は昭和24年(1949)に国有化、隣接する京都家庭裁判所の所長舎として平成19年(2007)まで使われたものを、今回、整備の上、この秋、特別公開中。
冬の恒例の美山の雪灯篭(2016年1月30日(土)~2月6日(土))
ボタン鍋なども楽しむことができます。最終日の夜は花火が打ち上げられます。
なお、ライトアップは2月末まで行われます。
日本の原風景をお楽しみください。 日本昔話の世界です。
青蓮院門跡の飛地にある「青龍殿」(2014年10月落慶)の大舞台に特設されているガラスの茶室。
デザイナーの思いとは別に、どうみても落ちつかないですかね。
でも、満点の星空の下の茶会は別格かもしれません。
暖冬であまり底冷え感のない今年の京の冬ですが、雪景色は神秘です。
京の春と秋のために、京都人は盆地特有の蒸し暑い夏と底冷えする冬をじっと耐えていると云われます。
京都人の影の苦労は、「ジキルとハイド」の世界です。
寒中お見舞い申し上げます。 Nobusan 永田 信明
2015年は本阿弥光悦が元和元年(1615)に家康から鷹峯の地を拝領した年から400年、弟子の尾形光琳の三百回忌の節目の年。「琳派」は本阿弥光悦と俵屋宗達を創始とし、尾形光琳・乾山の兄弟などがそれを発展させた技法。
尾形光琳ゆかりのお寺「妙顕寺」(裏千家のそのまた裏にある日蓮宗のお寺)では、光琳の命日6月2日に追善法要も実施されました。
今回は10年来のお客様のご依頼で「百人一首と琳派」を中心に巡りました。
一日目
「梅の宮大社、大覚寺、仁和寺、法金剛院、鳴滝(松尾芭蕉)と乾山の窯跡」。
2日目
「奈良室生寺、大野寺(弥勒菩薩の磨崖仏)、円成寺(運慶作の大日如来)」。
なかでも円成寺(えんじょうじ)は歴史が息づいた境内を独り占めに出来る束の間の幸せを感じられる古寺で、好きなお寺の一つです。
生きた時代が異なるにも関わらず、琳派という流れを受け継ぐ芸術。京都の自然美を的確に捉えているからこそ成せる業と云われています。
明けましておめでとうございます。
皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。 Nobusan 永田 信明
東欧ポーランドからのゲスト。年末の静寂な大徳寺(高桐院、大仙院)、嵯峨野の竹林、祇王寺、愛宕念仏寺を巡りました。
新年をお迎えするため、お寺でもご本尊やお庭の手入れなどの大掃除に励んでおられました。
今年も日本や外国のゲストの方々に京都の古刹を中心に奈良や滋賀湖西・湖東など、その魅力をご案内させていただく機会に恵まれ、感謝の気持ちで満ちた一年でした。ありがとうございました。
来る年も皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げます。
それでは良いお年を!
Nobusanこと 永田 信明
追伸)
明日はいよいよ大晦日。京の街では心にも届く除夜の鐘が響きます。合掌
愛宕念仏寺でも「仏」「法」「僧」の文字が各鐘に刻まれた「三宝の鐘」の除夜の鐘が、一般参拝者の手によって突かれます。
弘法大師ゆかりの3ヶ寺を弘法さんの命日21日に巡る習わし。
東寺では初弘法、神光院では弘法さんが厄除け修行をしたという境内で山伏の大護摩焚きと火渡り、仁和寺では納めとして、御室八十八ヶ所霊場を巡ります。
初弘法は、12月の終(しま)い弘法と並んで人出が多い市。境内には骨董品やお好み焼きなどを売る屋台がひしめき、香ばしいにおいと熱気に包まれます。訪れた人たちは、空海を祭る御影堂や弘法大師像の前で線香を献じ、無病息災を願います。
「京都賞」(稲盛財団主催)のプレゼンをされたゲスト。
仁和寺、龍安寺、金閣寺、大徳寺の高桐院、大仙院を巡りました。
お昼は「うどん都」(千本五辻西入る南側))の天ぷらうどん。親切なお店です。
また、近くには地元の方が手土産に利用する「五辻(いつつじ)の昆布」屋さん、お漬物の「近為(きんため)」、てんぷら屋さんで有名な「天き」、「天若(てんじゃく)」もあります。
ところで「京都賞」は、権威もスケールも大きい「ノーベル賞」にはかないませんが、その知名度も上がってきました。
歴史のある京都のファンが増えることは、とても嬉しいことです。
12月に入ってから小春日和の安定したお天気が続いています。
今が紅葉の見ごろですかね。観光のお客様も少なく、ゆったりと楽しめます。
メキシコからのゲスト。紅葉ピークのこともあり多くのお客さまが入洛されていますが、本来の京都の姿、静寂な晩秋を満喫いただけたかと思います。
金剛院山号五位山宗派律宗。「蓮の寺」として有名ですが、紅葉も素晴らしいです。
十輪寺。「昔男」のフレーズで始まるへ平安初期の歌物語「伊勢物語」の主人公在原業平の晩年の隠棲地の寺、通称「なりひら寺」。
大徳寺山内で最古の塔頭、南派本庵の龍源院。コンパクトなお庭ですが、禅の教えを表現していている素晴らしいお庭と思います。
今回は写真を撮りに京都に来られました久しぶりの日本のゲスト。
大覚寺嵯峨御流生花、嵯峨鳥居本、広沢の池、仁和寺、等持院などを巡りました。
2015年秋の紅葉も盛りになりました。
ご夫妻のジャケットがまさに紅葉でした。
ランチは北山の閑静な住宅街に佇む「ルルソンキボア」。
京野菜をふんだんに取り入れたお手頃なフレンチ・ランチでした。
清滝川に沿った高雄・槇尾(まきのお)・栂尾(とがのお)の「京都三尾(さんび)」。
・ 【春】 桜、山つつじ、新緑
・ 【夏】 蛍、避暑
・ 【秋] 紅葉
・ 【冬] 雪景色
硯石亭の紅葉の天ぷら。
硯石(すずりいし*)という弘法さんゆかりの石の前にある茶店。
衣は砂糖やゴマが加わり、ほんのりと甘く、香ばしい香り。お菓子に近い天ぷら。
利益率の高い天ぷらですが、歴史は千年以上前の代物です。
また、「もみじ餅」も名物です。
* 硯石
遣唐使の留学僧として帰国後、空海が高雄山寺(現、神護寺)で修行中、嵯峨天皇は空海に「金剛定寺」の門額の書を依頼、勅使を派遣した。その時、清滝川は増水、勅使が川を渡ることができなかったため、空海は石を硯石として空に向かって書した。墨は飛び散って、はるか向こうの金剛定寺の門額に文字が表れたとい云う。
銀閣寺方丈前にある銀沙灘(ぎんしゃだん)。白川砂を高さは66cmまで盛り上げて造られており、月の光を反射させる役目があります。
乱れのない線、模様、いつ見ても気持ちいいです。
毎朝の作業の賜物ですが、それでも意識をすると線が乱れ、無の境地ではくと、きれいな線がでるそうです。
今年の紅葉も色づきはじめてきました(11/6)。
ところで、先日、「枯山水」というボードゲームがNHK「おはよう日本」の中で紹介されていました。ゲームの内容は良くわかりませんでしたが、禅僧になった気持ちで「美しく洗練された枯山水庭園を造ること」を目指す修行のような遊び、きっと良い“徳”がつめるかもしれません。
箱庭や苔球、癒しの世界に人気がありますね。その代表格が京都や奈良観光でしょうか。
妙心寺退蔵院「余香苑」の入り口にある栗の木(なぐり*)の門をくぐると、正面に1本の枝垂れ桜の大木があります。
この桜、数年前のJR東海の「そうだ京都行こう」で、このお寺のポスターの顔となりました。
キャンペーンビデオの撮影で、上空から見たところハート型の姿であることがわかったそうです。
桜の左側が白砂の「陽の庭」、右側が黒砂の「陰の庭」。
私たちは「陰・陽」「善・悪」「損・得」「富・貧」などと物事を二元的、相対的にとらえる傾向があります。
自分の立ち位置を確認して安心したりと無意識に使います。しかし、このことが迷いの本質で、そのどちらかを選り好みすることによって、この迷いは一層深くなると「禅」では教えています。
「白隠禅師坐禅和讃」のお経の中にもこんなフレーズがあります。
衆生 本來佛なり
水と氷のごとくにて 水をはなれて氷なく
たとへば水の中に居て 渇(かつ)を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷ふに異ならず
さて、般若心経を唱えてから座禅や写経でもして、煩悩を開放しましょうか。(合掌)
*「なぐり(名栗)」
釿(ちょうな)という鎌のよな道具で削る技法で、京都でもこれができる職人は数える人しかいないそうです。京北町「原田銘木」さんもそのおひとり、後継者もおり一安心です。栗の木は寝かすこと10年余り、それでも暴れのある扱いにくい木ですが、水の腐食に強いため、京町家の格子戸、神社仏閣の軒下や数寄屋造りには欠かせない材です。
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永 田 信 明 Nobuaki Nagata
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