平安京にはその中央にメインストリートの「朱雀大路」が通り、御所から見て東側を左京、西側を右京としました。
朱雀大路の南端には、芥川龍之介の著書でも有名な「羅(生)城門」(らじょうもん)と呼ばれる都の正門が造られ、その門を入ったすぐ右手には空海(弘法大師)の「東寺」、左手に守敏僧都の「西寺」が創建されていました。
両寺は常にライバルとして平安京の守護を担っていました。
中でも、824年(弘仁15年)の干ばつの時、神泉苑での「雨乞いの儀式」(雨乞い伝説)のお話は有名です。
時の帝・桓武天皇は弘法大師に堀川御池にある神泉苑で降雨祈願をするように命じましたが、それを知った守敏は、帝に先に祈願させてくれるように頼み、神泉苑で祈願に入りましたが、少量の雨が降っただけでした。
今度は空海が祈願をしましたが、全く成果がありません。変に思い調べてみると、守敏が水の神の龍神を隠してしまったことが判明、二日間の延長を願い、インド天竺の竜神に祈願して豪雨を降らせました。
これにより、守敏は国中の笑い者となり、一方、空海は信を得ました。
このような逸話ですが、その時に呼び寄せたという善女龍王は、現在も神泉苑善女龍王社にお棲まいになられています。
現在の西寺は、発掘時出土した金堂礎石の一部が残るのみで、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認されています。塔跡の礎石は、唐橋小学校の敷地付近と思われるものの、地下に埋もれているのか、すでに破壊されたのかは分かっていません。
羅城門から聳え立つ平安京のランドタワー、東寺、西寺の塔は、平安京の玄関にふさわしく威風堂々と都を守っていたものと容易に想像できます。