「山」というより「岡」と呼ぶ方がふさわしい景勝地。三角点の高さは標高112m。
平安京の中心軸「朱雀大路」の延長線上にあり、平安京造営の基準点ではないかと考られています。
この岡に立てば真南に内裏、遠く羅城門も見えたことでしょう。また、山頂に残る磐座の上では陰陽師・安倍晴明が星空の下、国の行方や安泰を占っていたことでしょう。
清少納言「枕草子」にも「岡は、船岡」と挙げています(231段)。東側には今でも雲林院というお寺もあります。その門前で車を停め「祭りの還さ」(賀茂祭の翌日、斎王 が上社から紫野の斎院に帰る行列)を見物した時の光景も描いています(38段) 。
中期以降は、船岡山から蓮台野一帯は葬送の地。岡に散在する板碑や石仏などは、その名残かもしれません。
応仁の乱では西陣の山名宗全が城塞を築き、東軍・細川勝元を迎え撃った場所。古戦場の痕跡は、中腹にある空堀によって知ることができます。
昭和初期、ラジオを共同で聞くために建てられた「ラジオ塔」や東側には織田信長を祭る建勲神社(通称「けんくん神社」 正式「たけいさお神社」)もあります。
五木寛之さんの「親鸞・完結篇」でも船岡山が舞台となり京都新聞の連続掲載を楽しみました。
足腰に自信がある方は、桜見物もかねて是非、歴史の遺構などが残るこの岡を感じてください。